いつお迎えが来ても恥ずかしくない年

 鬼平犯科帳1975年版をみていたら、十数年ぶりの親子の対面で父親が言うセリフです。
「私も七十を超えた、もういつお迎えが来ても恥ずかしくない年になった」

 生に未練があるとかないとかではなく、周囲から見られて恥ずかしくない年になったという言葉がいいなあと思いました。恥を知る時代の言葉なんだろうと思いました。
 
 恥ずかしくない年というのは、ローズマリーが考えるに、すべきことはやり、周囲にも役目をはたしてきたという意味ではないかと思いました。
 もう次の舞台が待っている、というような意味合いも感じました。

 今は何が何でも長生きがいいように世間がしているのではないかと思われます。それなりの年を取れば死ぬ権利もあるだろうと思います。自分のことが自分でできるうちに周囲に惜しまれて次へと旅立つ時期があると思います。
 ある程度の年を生きたら、何もできずに何もわからなくなり疎ましがられて長生きするのは本意ではないのではと思います。

 ローズマリーは長女ですし、姉妹は遠方ですから、親に何かあればその時の決定はローズマリーがすることになると思います。
 延命治療は、ずっと以前から親との会話で「望まない」と確認を繰り返しております。延命治療に何が含まれるかは親は良くわかっていない気もいたしますが、既に平均寿命も過ぎています。ローズマリーは子供として親に対して、医療関係者から聞かれるような場面で、いろいろな医療処置を拒否することを決めております。

 たぶん親戚にも相談しないでしょう。やるとしたら報告のみです。
 実家の親に対しては、ローズマリーはそういう態度です。自分たちが育てた娘なのですから、あきらめていただくしかないと思います。
 
 もちろん自分が延命処置をどうするかといわれたら、それも拒否していただきたいと思っています。これに対しては何か文書を無いといろいろ不都合が起きそうです。折に触れて言いふらしてはおりますが、多分判断できる人がいないと思います。そのあたりががっかりですから、何とか世間が人間的な死を認める時代になるまで、生きていることが重要化もしないと思っています。

 
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Author:FC2USER75rosemary
島根県松江市で薪ストーブで心と体を温めて、手作り普段着着物で糖質制限・湿潤治療をする、普段はパートのおばさん、時々予備自衛官ローズマリーの日記。
2014年陸上自衛隊予備自衛官補技能の試験に合格、2015年採用、予備自衛官補技能教育訓練修了後、予備自衛官に任命されました。

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